00
01
SPECIAL CONTENT
SHIMANE
BANK
STORY
世の中は変わる。
地方銀行は変われているか。
01
02
大正浪漫の時代から
1915年(大正4年)、大正文化が花開く前夜の山陰地方で、島根銀行の前身である「松江相互貯金」は産声をあげた。松江に暮らす人や企業のための金融機関として、小さい組織ながらも大正・昭和という激動の時代を乗り越え、平成元年には「島根銀行」と商号を変える。これまで日本の銀行の多くは、他銀行との合併を繰り返すことで成長してきた。しかし島根銀行は合併をせず、自分たちの足だけで100年以上の歴史を歩んできた。地方銀行として最も歴史のある部類に入る銀行と言えるだろう。
02
03
銀行の歴史が変わった
かつての銀行は、公共性の高さが特徴だった。お客様の大切な資産を預かり、企業や産業の発展のために支援をする。そこに「利益をあげる」という発想は強くなかった。しかし平成の時代になり、日本経済の先行きが不透明になっていくと、金融機関も変わらざるをえなくなる。公共性の高い事業から、自分たちで収益をあげられる銀行へ。銀行に求められたのは、新たなビジネスモデルの構築だった。これまでの銀行の三大業務と呼ばれていた預金・融資・為替。もはやそれだけでは、銀行も生き残れない時代が近づいていた。
03
04
激化する勝ち残り競争
銀行同士が競争をするなんて、かつての金融マンたちは想像もしていなかっただろう。独自で収益をあげるということは、他銀行よりも抜きん出なくてはいけないということ。その荒波に、島根銀行も揉まれることになる。しかし規模の大きな銀行のサービスの質やスピードに、地方の小さな銀行は遅れをとった。経営基盤を磐石にするために東証一部上場も果たしたが、この競争の渦のなかで現場の行員たちは、大きな疑問を抱くことになる。「島根銀行の良さって何だ」。かつて地域のために、Face to Faceでお客様に寄り添っていた行員たちが、自分たちの仕事に自信を失っていた。そうして、島根銀行は地方銀行で唯一、コア業務純益(銀行本来の業務の収益)で赤字を出すことになる。
04
05
日本初のタッグチーム
結果から言えば、赤字になったことで、日本中のどの地方銀行よりも真っ先に危機感を抱くことができたのは大きな収穫だったのかもしれない。「新しい何かを入れて生まれ変わらなくてはいけない」。必死にあらゆる業界へ目を向けていくなか、ネット金融最大手のSBIグループと出会った。SBIグループは最先端のツールを駆使する一方で、地方創生を掲げ、第4のメガバンク構想を持っていた。合併ではなく、地方銀行の集合体として、新たなメガバンクになりえる金融チームをつくる。その未来のビジョンと、島根銀行の想いが合致した。2019年、島根銀行はSBIグループと資本提携を決める。そしてネットバンクと地方銀行が手を結ぶのは、これが日本で初めてのこととなった。
05
06
快進撃、はじまる
SBIグループと提携した新たな島根銀行は、驚くべき快進撃を見せることになる。コア業務純益の赤字は約1年半で黒字に転換。その成長ぶりは、地方銀行の未来の可能性を感じさせるものだった。ITやフィンテック、システムや運用のノウハウなど、SBIグループの資源をフル活用することで、島根銀行の足りなかった部分が想像以上の「強さ」を得るようになった。これまでの競争が山陰エリアだけの狭い世界だとしたら、SBIグループはもっと広い世界の景色を見せてくれた。地方にとどまらないビジネスマッチングや、テクノロジーを活用したコンサルティング、資産運用など、最先端のノウハウで地域の人や企業に貢献できることが圧倒的に増えていった。そして一番の大きな変革をもたらしたのは、行員たちのマインドだった。
06
07
山陰に、光を灯せ
真面目に、朴訥に、無難な仕事をこなすのが銀行員。そんなイメージが世の中にはあるかもしれない。しかしそれは世間が勝手に作りあげたイメージだ。行員ひとりひとりの胸の奥には「こんな事がしたい」という熱い想いがくすぶっている。ただ旧態依然の銀行では、その想いを外に出すことができなかった。しかし島根銀行はSBIグループの新しい風が入ったことで、行員たちの心に明かりを灯すことになった。自分たちで声をあげていいんだ。変われるんだ。その風土とマインドの変化が、島根銀行の躍進の大きな原動力になっている。地方銀行が変われば、この町の未来が変わる。それは必ず日本を変えることになる。そんな想いで前進する人たちが、今のしまぎんを、そしてこれからのしまぎんを支えている。
そして次の新しい扉を開けるのは…
07
女性社員1 女性社員1
07
女性社員2 女性社員2
コンセプトメッセージを見る
MORE VIEW